通勤電車は人間観察サファリパーク


毎朝、決まった時間に、まるで儀式のように乗り込む満員電車は、私にとって単なる移動手段ではなく、日常という名の広大なジャングルに突如として現れる、刺激的で奥深い人間観察サファリパークなのだ。

眠そうな目をこすりながら、隅の方で広げた新聞に目を落とす年配のサラリーマンは、まるで早朝の柔らかな日差しの中で、静かに佇む老ライオンの威厳を漂わせている。

イヤホンから漏れる微かな音楽のリズムに合わせて、小さく体を揺らしている若い女性は、都会の喧騒の中で、鮮やかな羽を休める、一羽の美しい渡り鳥のようにも見える。

そして、まるで外界の音を完全に遮断したかのように、スマートフォンの画面に全神経を集中させている若い学生たちは、獲物をじっと見つめる、小さな肉食動物の鋭い眼光を宿しているかのようだ。

それぞれの乗客は、この小さな移動空間という独自の生態系の中で、それぞれの役割を演じながら生きる、多様で興味深い動物たちなのだ。

そして時折、周囲の空気を一変させるような、大きな声で電話を始める人や、奇抜なファッションに身を包んだ、まるでジャングルの奥地から迷い込んできたような珍しい動物(珍獣)が現れると、車内には一瞬の静寂が訪れ、すべての乗客の視線が、その珍獣へと一斉に向けられる。

私は、この喧騒と静寂が入り混じる移動するサファリパークの、誰にも気づかれない静かなる観察者。今日もまた、どんな予測不可能な行動をとる動物たちとの、スリリングな出会いが待っているだろうか。

ただし、私もまた、他の多くの乗客にとっては、観察される側の動物であることを常に意識し、このサファリパークのルールを守り、慎ましやかな態度で過ごさなければならない。

うっかり大声で独り言などつぶやいて、他の乗客の珍獣リストに、新たな一種として登録されないように、細心の注意を払おう。



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